『マーケティングと距離』 -朝野熙彦
距離など誰でも知っていることだと思うのですが、その距離がなぜマーケティングに関係してくるのですか?距離は一通りしか測りようがない数値ではないでしょうか?今回はマーケティングと距離について朝野先生に話をうかがいたいと思います。(コレクシア村山)
■とりあえず数学的な定義
数学の世界では距離を次のように定義しています。集合内の任意の2つの要素x,y の関係を表す関数 d(x,y)があって、それが次の3つの関係を満たすとき、これを距離と定義する。
(1)は最小性、(2)は対称性、(3)は三角不等式 といいます。そして[1]が成り立つ集合を距離空間metric spaceと呼びます。要素といわず点と呼び、x,y,zの代わりにi,j,kと書くこともよくあります。このように公理によって概念を定義することを公理論的定義といいます。
さて、(1)の関係を満たすような距離はたくさん考えられるし、(1)の部分的な関係しか満たさない擬距離pseudo distanceもたくさん考えられます。距離は先験的に存在するのではなく「人間」が創り出した指標にすぎません。そしてマーケティングではむしろ擬距離に本質的に意味があることが多いのです。
■公理を満たすさまざまな距離
シティーブロック距離
浮世離れした空理空論を言っているわけではありません。図1を見てください。
図1 京都の街
あなたが京都東急ホテルに泊まって、用があって池坊短大を訪問するとしましょう。京都の街並みは碁盤の目のように出来ていますから、五条通を点線のように左折すれば池坊短大にたどりつきます。新町通を歩いてもいいし西洞院通を選んでも距離は同じです。このように直角に折れながらたどる最小距離をシティーブロック距離city-block distanceといいます。アメリカのマンハッタンもそういう街並みなのでこの距離はManhattan metricとも呼ばれています。もちろん京都東急ホテルと池坊短大の直線距離を測って測れないわけではありません。これをユークリッド距離といいます。どちらがよいかは、数学の都合で決めるのではなく距離を利用する側の都合で決めるべきなのです。京都の街を徒歩で移動するならシティーブロック距離の方に意味があります。
距離は曲がりくねった街路にそって測ることも出来ます。マーケティングの処方箋の第6回で紹介したハフモデルを想い出してください。顧客が小売店に買物に行く時の距離は街路にそったアクセス距離と、障害物を無視した直線距離のどちらが交通抵抗として意味があると思いますか?答えはアクセス距離の方ですね。徒歩なら所要時間で距離を計測すればよいし、電車やバスを使うなら交通費で経済距離を測ってもよいのです。
つまりどの距離を使うべきか、さらに計測の精度をどうするかはマーケティング課題に応じて決めることだ、といいたいのです。スーパーに行く距離を測るのにミリ単位で精密に測定するのは無意味な努力ですね?
最大値距離
図1では座標を明示していませんが、平面ですから地図の緯度と経度に相当する縦座標と横座標を設定してもいいでしょう。つまり多次元の座標空間に複数の対象が位置づけられている、という状況を想定するのです。そしてこの空間の任意の2点間の距離を測ることを考えましょう。ブランドA,B,Cがあって次元が「高級感」と「コスパ」だとします。コスパとはこのごろ上戸彩さんが出ている某CMによればコストパフォーマンスの略だそうです。
消費者によっては2つの次元を足して2で割るような折衷的な評価ではなく、一面だけでもずば抜けているかどうかが気になる人がいるかもしれません。すると、ユークリッド距離のような加法的な指標よりも、差の最大値に着目してブランド間の距離を測定する方が適切になります。それが最大値距離dominance metricです。
図2 3つのブランドの最大値距離は
図2のマップには横座標が「高級感」、縦座標が「コスパ」の2次元空間にA,B,C3つのブランドが位置づけられています。さて3ブランド間の最大値距離に着目すると、どのブランドとどのブランドの間が最も離れているでしょうか。答えは、
見た目にはブランドAとBが最も離れているように見えますが、最大値距離なら一番離れているのはブランドAとCの組なのです。Aブランドに何かで差をつけたければBではなくてCを選ぶべきなのです。
ミンコフスキー距離
ここまでに紹介した距離を一般化したのがミンコフスキー距離です。 n次元空間において、p(powerつまりべき乗)を1以上の実数として
図3 原点から等距離の点の軌跡
ミンコフスキーのパワー距離Minkowski power metricはいくつかの距離を一般化したものです。
[2]でp=1とおいたのがシティーブロック距離、p=2とおいたのがユークリッド距離、そして(無限大)の場合が最大値距離になります。しかし[2]には一般化の意義があるだけではありません。MDS(多次元尺度構成法)の中にMDSCALというモデルがあります。開発者のクラスカルは、分析者がpメトリックを任意に指定できるモデルを提案しました。そういう消費者の知覚空間を理解するためにも実用されています。ちなみにミンコフスキーはアインシュタインの数学の先生です。
■擬距離の重要性
統計学では確率分布間の距離とかデータとモデルの距離など、さまざまな場面で擬距離が活躍しています。中でも重要なのが[1]のd(x,y)=d(y,x)が成り立たない非対称の距離です。男女間にはしばしば非対称性な関係がおきます。片想いとか、せっかくの好意を悪意と誤解されることもあるでしょう。企業と消費者の間にも、そして政党と政党の間にも非対称の関係が起きえます。
交通問題を例にとれば、お盆の時期の自動車道は上りと下りの渋滞が非対称に発生するのが通例です。マクロ経済でいえば国家間の貿易にも非対称性が生じます。というわけで、擬距離は実社会において、どうでもいい距離というよりも、むしろ重要な意味を持つ場合が多いのです。MDSの分野ですと近年は、下記の書籍のように非対称の距離の方が研究が進展しているくらいです。距離については知っていてもらいたいことがまだありますので、次回も話の続きをしたいと思います。※後編は10/4(金)に公開予定です。
岡太彬訓・守口剛(2010)「マーケティングのデータ分析」朝倉書店
千野直仁・佐部利真吾・岡田謙介(2012)「非対称MDSの理論と応用」現代数学社
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朝野 煕彦 (あさの ひろひこ)
1969年、千葉大学文理学部卒業後、マーケティング・リサーチの企業に就職し、コンサルティング業務を行う。1980年、埼玉大学大学院修了。その後、筑波大学特別研究員、専修大学教授を経て、東京都立大学、首都大学東京教授を歴任する。現在、中央大学および多摩大学大学院客員教授。日本マーケティング・サイエンス学会論文誌編集委員。日本行動計量学会理事。著書は「マーケティング・リサーチープロになるための7つのヒント」(講談社)など多数。